日本の科学・技術発展に向けた提言
横浜薬科大学学長、茨城県科学技術振興財団理事長 江崎 玲於奈 氏 × 広瀬 容子 対談
今こそ真の日本開化を! ノーベル賞受賞者が説く科学・技術飛躍の鍵とは
「エサキダイオード」を発明し、トンネル効果の実験的発見により1973年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者の江崎玲於奈氏。戦後日本の産業復興を支えるべく企業研究員として尽力し、32歳という若さで世界を驚嘆させる電子デバイスを開発。その画期的発明により、“レオ・エサキ”の名は世界に知れ渡ることになる。その後、新たなステージを求め、ニューヨーク郊外のIBMワトソン研究所での研究のため渡米した氏は、超薄膜構造を周期的に積み上げた半導体超格子を提案し、自然を超える人工物質の作成に挑戦した。1970年代から1980年代にかけて、江崎氏と彼の協力研究者らによる半導体量子構造の先駆的研究は、固体物理学に一つの革命をもたらしたと言われている。そんな江崎氏の顕著な実積は過去100年の引用情報を有する学術文献データベース、 Web of ScienceSMや知財データベースThomson Innovation®から振り返ることができる。「What should I do with my life?(わが人生何をすべきか)」、この言葉を胸にひたすらサイエンスを探求し続けた江崎氏に、今、日本の研究界への思いを聞いた。
—江崎先生は米国に32年間在住され、企業研究員、教育者と様々な立場を経験されました。科学技術が飛躍を遂げた20世紀、最前線でご活躍された視点から、日本の研究界をどのようにご覧になりますか?
江崎氏…日本における最も聡明な知識人である夏目漱石が、100年前、さまざまな講演会で文明について論じています。その中で彼は、「西洋の開化が内発的なのに対し、我が国の開化(漱石の定義では「人間活力を発揮するプロセス」)は外発的、つまり外部からの力で強制されたもの」であり、「英文学というものも、いくら日本の秀才でも分からないところがある」と説いています。もちろん、物理学などの自然科学は英文学のように土地の文化とは密接ではなく、普遍性・客観性を備えているので、日本人でも、誰しも理性をもって理解できます。しかし、最新の物理学の進歩を理解することと、自ら新分野を開拓し、新知識を獲得して物理学を進歩させる研究活動とは大変異なります。ここで開化が外発的な日本は、前者は努力さえすればできますが、後者の研究活動は必ずしも容易ではありません。トムソン・ロイターの引用データでもわかるように、日本の現代科学は、いまだ外発的(外部からの強制)なのでしょう。やはり、サイエンスというのは西洋で生まれて育ってきた文化です。それを我々日本人がどのように自分のものにしていくか。いかに内発的にしていくかということが今問われていると思います。

もうひとつ、日本のハンディキャップは言語の感覚の違いです。西洋の言葉にはすべて冠詞があります。冠詞というのは、“the”と“a”。“the”というのは今まで論議された既知の存在。論議されていない新しい存在が“a”です。会話の中で、何が今まで論議された“the”か、なにが新しい“a”かが明確に分かるのは大きなメリットです。なぜなら、これが新しいのだということに関心がなければ研究者としての資格はありません。私が一番初めに半導体超格子を学会に発表した時も、「I’d like to propose a Semiconductor Superlattice.」、“a”なんです。日本人は“the”を改良する研究が非常に多い。“the”の延長線ではなく“a”の研究の道を探求していくべきです。
—現在、Web of Scienceのデータでは、先生が提案された“半導体超格子”に関する論文が約16,000報あります。
江崎氏…なかでも、1970年に発表した”SUPERLATTICE AND NEGATIVE DIFFERENTIAL CONDUCTIVITY IN SEMICONDUCTORS”(IBM JOURNAL OF RESEARCH AND DEVELOPMENT)は2,000回以上引用がある。私は、引用というのは数だけでなく持続性を見ることが重要だと考えます。ぱっと花開いて萎むのか、長く咲き続け後者が足跡を残していくか。現在、私は、日本学術振興会賞や日本IBM科学賞、江崎玲於奈賞など多くの賞の選考委員をしています。賞の選考にあたり、持続性や波及効果を測る指標として、引用を選考の指針として使っています。引用にはさまざまな見解がありますが、ひとつだけ言えることは引用の少ない論文はつまらないということです。もちろん、価値が認められるのに時間がかかる論文があることも考慮に入れねばなりません。引用が高い論文は、波及効果の存在が明らかです。波及効果と良い論文は違うかもしれないが、良い論文は波及効果があるに違いない。よって引用は、少なくとも価値のない論文を除外し、良い論文候補を決めてくれます。そういう意味で、引用分析の資料は大変価値があります。
ReseracherIDで見る江崎氏の高被引用論文
—論文の価値を決めるひとつの基軸として、影響力の長さ、波及効果というお話ですが、色々な分野に引用されていくということは、すなわち応用分野が広くて実生活に役立つ、企業や生活者にとって利益になるような発明に繋がるという意味合いも持つのでしょうか?
江崎氏…そうです。ただし、サイエンスとテクノロジーでは違います。サイエンスというのは「科学=新しい知識を生みだす」ことで、役立つとか役立たないに関係なく、それ自身に価値がある。テクノロジーは世の中に役立たせるべく応用する技術です。今年1月のオバマ米国大統領の一般教書演説で多く使われたのが“イノベーション=革新”という言葉でした。イノベーションは、インベンション(発明)やディスカバリー(発見)とは若干意味合いが異なり、社会に大きなインパクトを与えるなにか新しい発見や発明を示唆します。単なる技術革新でなく、人間の生き方、社会を大きく変革させるのがイノベーションです。
「SUPERLATTICE AND NEGATIVE DIFFERENTIAL CONDUCTIVITY IN SEMICONDUCTORS」 被引用数推移
トムソン・ロイター Web of Science (accessed 2011/2/28)
—日本は、研究のアピールや金銭面に言及する苦手意識があるのでしょうか。先ほど先生がおっしゃった科学技術のうち「科学」=サイエンスを一生懸命研究しても、研究成果のアウトプットや「技術」への転用が不得意だと見られることもあります。
江崎氏…お答えする前に、ちょっと整理してみましょう。科学は自然界のルールを解明する体系的な知識であり、それを社会や企業の利益、医療の向上のために活用するノウハウが技術です。この科学と技術こそ近代文明を発展させる原動力です。ところで、技術の発展は科学の進歩に依存し、多くの科学の研究は何らかの応用を目指していますが、初めから技術応用に結びつく可能性がほとんどない分野もあり、その一つが高エネルギー物理学、すなわち、原子よりも小さな素粒子などを研究する分野です。物理学の基本に係わる重要な分野ですが、研究者の数は、私のような固体物理学者に比べると、少数派です。ところが、日本のノーベル物理学賞受賞者は、私以外、湯川、朝永、小柴、南部、小林、益川博士たちすべて、素粒子や原子核分野の研究者であるため、物理学研究と技術への活用とは次元を異にすると考えられてきました。これまでの日本では、企業に富をもたらす物理学研究などは次元が低いと考える風潮すらあったのかもしれません。
言うまでもなく、一般的に科学を技術に応用すること、つまり価値を社会にフィードバックしていくことは多くの研究にとって必要不可欠です。シリコンバレーでは、技術をもとに皆がいかに富を築くかが中心課題です。かえりみて、筑波は約1万6000人の研究者を抱える世界最大級の研究都市で、随分資金を投入し、良い研究も多いのですが、どれだけ画期的なイノベーションに貢献したか、若干疑問を感じています。オバマ大統領のキーワードのひとつは“winning the future”。“The first step in winning the future is encouraging American innovation”(未来を勝ち取る第一歩は米国のイノベーションを奨励することだ)。彼は、アメリカという国が“spark creativity and imagination of the people”。つまり、人々の創造力を触発するのに最も適した国だと自負しているのです。
—創造力とは、新しいものを作りあげる力のことですね。
江崎氏…オバマ大統領は、クリエイティビティ&イマジネーション、人間の創造力と想像力に点火し、それを大いに発揮させるのがアメリカだと言っています。これから日本に必要なのは、研究者の創造力をいかにスパークさせて革新的成果を挙げ、それを社会や企業の利益に結びつけられるかです。自分の取り組んだ仕事がどういうものか、その核心を把握すること。自分の研究が社会にどういうインパクトを与えることができるか、どうすればもっと大きなインパクトを与えられるかを考える。素晴らしいと思って追及していた研究が案外ダメだったりもするでしょう。従って、検証しつつ工夫して前に進むことが大切です。グローバルな知見とともに知的財産活動を高めていくには、戦略意思決定に役立つ的確な情報を正確に迅速に入手することが、今後ますます重要になります。
—たまたま知財のお話が出ましたが、特許という側面からも今の先生のお話の裏付けができます。この資料は、国際知財情報データベース「Thomson Innovation」で、江崎先生の特許引用数を出したものです。ある実際の特許がどういうところに引用され、それが審査官引用であるか、出願引用であるか、また、第一世代で先生の特許を引用した企業はどこかなどが分かります。
江崎氏…なるほど、これらの企業が私の特許を引用しているわけですか。興味深いですね。NECが随分引用しているようです。最も引用数の多いUS ARMYは、IBMとともに私の研究をサポートしてくれました。通常米国では、企業の研究はNSF(National Science Foundation)のサポートが得られないため、私の場合、研究をサポートする国防省の資金団体のひとつであるArmy Research Officeが支援してくれたのです。
江崎氏のUS3626257Aを引用した特許 譲受人/出願人一覧
| 企業名 | Citing Patent数 |
|---|---|
| AGENCY IND SCIENCE TECHN | 1 |
| AMERICAN TELEPHONE & TELEGRAPH | 4 |
| AT&T Bell Laboratories | 2 |
| BEAN JOHN C | 1 |
| BELL TELEPHONE LABOR INC | 4 |
| BRITISH TELECOMM | 1 |
| CENTRE NAT RECH SCIENT | 1 |
| EXXON RESEARCH ENGINEERING CO | 1 |
| IBM | 4 |
| INT BUSINESS MACHINES CORPROAT | 1 |
| JAPAN RES DEV CORP | 1 |
| LI BINGHUI | 1 |
| LICENTIA GMBH | 2 |
| MAX PLANCK GESELLSCHAFT | 1 |
| MICRON TECHNOLOGY INC | 1 |
| 企業名 | Citing Patent数 |
|---|---|
| NASA | 1 |
| NEC CORP | 5 |
| PAUL DRUDE INST FUER FESTKOERP | 2 |
| PHILIPS CORP | 2 |
| RENK KARL FRIEDRICH | 1 |
| SIEMENS AG | 1 |
| SONY CORP | 1 |
| TEXAS INSTRUMENTS INC | 1 |
| UNIV CALIFORNIA | 1 |
| UNIV ILLINOIS | 2 |
| UNIV TOHOKU | 1 |
| US ARMY | 9 |
| US ENERGY | 1 |
| US NAVY | 3 |
| XEROX CORP | 1 |
| YAMAKA EISO | 1 |
トムソン・ロイター Thomson Innovation Accessed:2011/2/28
—サポートというのは資金面での援助でしょうか。
江崎氏…そうです。dollar to dollar fundingという組織があり、IBMが1ドル払うとUS ARMYも1ドル払う、つまり、私の研究費の半分をUS ARMYが持つというシステムでした。私の研究の特許も、US ARMYが自由に使えるようになっています。しかし、研究資金とは難しいものです。いい研究をした後は潤沢に貰えるのですが、本来は研究をする前にお金が必要。といっても、結果を出す前に予算を獲得するのは現実的に厳しいでしょう。
—先生のダイオードの発明は研究費がほとんどゼロと聞きました。
江崎氏…ええ。ある時、「あなたのノーベル賞にはいくらお金がかかったか?」と聞かれたのですが、ほとんど使っていませんでした。だいたい無名の企業の研究者などには公的資金はほとんど来ません。だから当時は大いに知恵を絞ったのです。一方、その後の研究である超格子には莫大な資金が必要でした。もちろんIBMも出してくれましたが、研究を持続的に安定させるためには国防省の支援が不可欠でした。そこへ、US ARMYがサポートしてくれることになった。ARMYと聞くと日本人は軍事研究と捉えがちですが、中には機密外のグループがあり、そこの組織が支援してくれたのです。今でも、彼らは私の研究をサポートしたことを非常に誇りに思っています。
通常のダイオードのpn接合の幅は100ナノメータ程度が一般的でした。しかし、私が研究したエサキ・トンネルダイオードにおいては、10ナノメータという薄さの限界に挑戦したのです。そこで半導体超格子でもレイヤーの厚さを同様の10ナノメータにしてみたのです。原子のひとつの厚さが0.3ナノメータくらいですから、10ナノメータというのはアトムが30程度のレイヤーになるわけです。超格子で10ナノメータという薄いレイヤーを作るのは高度の技術が求められ、US ARMYの人が「これはまさにナノテクノロジーの嚆矢(こうし)(編集注:ものごとのはじまり)だ」と言ってくれました。ダイオードの研究はトンネル効果を見るためにレイヤーを非常に薄くしたわけですが、そこにたまたま負性抵抗を発現することができたので、それが発信や増幅、スイッチングなど応用への可能性が広がりました。つまり、「科学」として始めたことが、実際、「技術」として使えるようになったという偶然性は私にとって大きなサプライズであり、喜びでもありました。
—研究の応用についてですが、日本の大学では論文という形での発表には努力しても、特許には消極的なようです。日本の研究者の方々の中には、特許を取り、研究を利益に変えるというのを俗物的に捉える方もいらっしゃると。
江崎氏…研究を利益に変えることに恥ずかしさを覚えてもらっては困ります。研究も投資の一つであり、正式な方法で利益を上げることは、国際競争の中で生き残るために今や不可欠です。それに、特許の価値は独占してお金を儲けることだけではないでしょう。特許は、先見性を明らかにし、研究を技術として実用化できるという証明です。お金を儲けるのに抵抗があるなら、特許を取得してから無償で提供したらいいのです。日本人は良い仕事をしたら自動的に褒めてくれるだろうという発想がありますが、それは国際社会の中では通用しません。良い仕事をし、良い論文を書き上げ、この点が素晴らしいのだとアピールし、それが受け入れられて初めて世間に認められるのです。
江崎氏の特許公報数
出典:Thomson Innovation
—特許を取得することで次の研究資金が生まれ、自分自身の保護にもなる。アメリカや西欧諸国では一般的な考えですが、日本の感覚とは異なるということでしょうか。
江崎氏…特許の価値に対する評価の問題でしょうね。日本には、新しい知識を生みだすことがイノベーションだ、と考えている学者が多い。先に述べましたように、高エネルギー物理など、分野によっては産業に波及しないこともありますが、僕は、アトムよりも大きな分野の研究なら産業に役立つと思っています。サブアトミックと呼ばれる原子より小さな分野、素粒子などの研究にはそれ自身に価値がある。宇宙線物理学が良い例です。一方、固体物理学などは新技術に直結していく分野です。
例えば、私の超格子の研究が、大いに活用されている「HEMT (ヘムト) High Electron Mobility Transistor(高電子移動度トランジスタ)」の開発に繋がり、サブバンド間遷移を利用した長波長の新しいタイプの半導体レーザ「Quantum Cascade Laser(クォンタム・カスケード・レーザ)」などに波及しました。私の超格子の発想がさまざまな応用に反映されたのです。

1900年、量子論の創始者であるドイツ人のマックス・プランクが、クォンタム(量子)という画期的な提案をしました。「物質はつぶつぶの原子からなっている。しかし、エネルギーもまたつぶつぶの量子からなっている」と言ったのです。光のエネルギーは連続的に見えますが、これも粒子性を持つのだというのが量子論の一番の基本であり、それを発見したのがマックス・プランクです。やがて、さまざまな観測によりエネルギーが粒子性を持つことが実証され、1926年には量子力学として数式化されました。さらに、1928年、スイスの物理学者フェリックス・ブロッホは、この量子力学を基礎に結晶中の電子の振舞いを解明し、固体電子論を展開しました。この理論によると、電気伝導特性は格子状に並んだ原子の周期構造によって決まります。そこで私は、新たに人工の周期的な構造を作ろうじゃないかと考えたのです。それによって、これまでには見られない自然を越えた電気的特性を備えた物質を作成しようと提案しました。つまり「I’d like to proposal “a” Semiconductor Superlattice」と言ったのです。先ほど述べたとおり、普通の周期では原子の大きさは0.3ナノメータ程ですが、私たちは1ナノメータ、10ナノメータなどかなり大きくしました。それにより、今までにない新しい性質が生まれる。われわれのこの先駆的研究は新分野の開拓を導き、新しい現象の発見、新しいデバイスの開発をまねきました。例えば、高電子移動度トランジスタHEMTやテラヘルツ領域のブロッホ発振の観測、さらに、新しいタイプの半導体レーザ「クォンタム・カスケード・レーザ」などが開発されました。普通のレーザは電子と正孔の結合により発光するのですが、このレーザは電子のみで発光ができ、将来は1〜50マイクロメートルの波長域全体をカバーすることが期待されています。この研究に関する論文は、1994年、サイエンスに掲載され、現在1987回引用されていますが、これも私たちの研究から発展したものといえるでしょう。

—発明が応用され、科学技術の発展に繋がっていくのはワクワクしますね。最後に、30年以上もニューヨークで生活され、日本の研究者を外から客観的にご覧になられた先生にお伺いします。経済をはじめ研究の中心も欧米からアジアの時代と言われ、弊社の「グローバル・リサーチ・レポート」でも同様の分析が出ています。厳しい国際競争の中で、日本の研究界のフロントランナーとして、日本の研究界にアドバイスはありますか?
江崎氏…基本的には、“マインド”と“ハート”の違いを意識すること。日本人が好きな言葉のひとつ「心」には、マインドとハートの両方の意義が含まれていますが、英語では「理性」と「感情」に分かれ、意味は大いに違います。日本人はどちらかというとハート(感情)の部分が強く、逆に西洋人はマインド(理性)の要素の方が強い傾向にあります。マインド=理性の極致がサイエンスだとしたら、ハートの極致は芸術や神様かもしれない。つまり、西洋的な「マインド」の方が客観性や国際性と繋がるのです。今後、周りの国を意識して研究を続けなければ生き残れないのは明らかであるからこそ、日本人も鋭いマインドを備え、客観的な見方や国際性を高めなければいけないと思います。
そう、「サイエンス」は非常に国際的で客観的なものです。もともと、サイエンスの起源はギリシャの形式論理、つまり数学が基本です。それにルネサンスの時のガリレオたちによる原因と結果の因果関係を確認する検証が結びつき、サイエンスが生まれました。自然は合理性を持ち、それを初めて示したのが300年余り前のニュートンの万有引力の法則だと思っています。人類は太古の昔から技術を使って生きてきましたが、19世紀頃から、科学の知識が技術に活用され、機械工学や電気工学、20世紀には情報工学や通信工学、21世紀には生命工学などが大発展を遂げました。サイエンスは国際協力のもとに発展してきましたが、それをいかに役立てるかという産業技術の側面になると国際競争となりお国柄が出ます。今後、日本人が育てなければならないのは、ものごとの核心を捉え、豊かな想像力と先見性のもとに新しいアイディアを生み出す創造力です。
研究者たるもの、前人未踏の分野の開拓に挑戦しなければなりません。これまでに議論されていない“a”の冠詞がつく研究です。これからの研究者には、“the”の研究のフォロワーになるより、あっと驚かせる新しい“a”の発見を追求してもらいたい。イノベーターになって新しい分野を自分で作っていくという気概を持っていただきたいのです。現在、ソフトウェアの発展にも日本人はあまり貢献していない。アメリカやヨーロッパ発が多いですね。インターネットに関してもフェイスブックについてもそうです。立派な日本人研究者がたくさんおられますから、新分野の開拓に日本人の貢献はもっとあってほしいと思います。
—どうもありがとうございました。最後に、江崎先生、ちょうど100年前の1911年、物理学者・化学者のマリー・キュリーが2度目のノーベル賞を受賞しています。先生も、もう一度!というお気持ちをお持ちですか?
江崎氏…それは難しいと思いますが、もしもそうなったら、もう一度シャンパン空けますよ(笑)
—先生の今後のご活躍、研究のご発展を心より応援しています!

(2011年7月掲載)
江崎 玲於奈(えさき・れおな)氏
プロフィール
| 1925年(大正14年) | 3月12日大阪府生まれ |
|---|---|
| 1947年 (昭和22年) | 東京大学理学部物理学科卒業 |
| 1959年 (昭和34年) | 理学博士(東京大学) |
| 1947年 (昭和22年) | 神戸工業株式会社 |
| 1956年 (昭和31年) | 東京通信工業株式会社 (現ソニー) |
| 1960年 (昭和35年) | 米国IBM T. J. ワトソン研究所 |
| 1967年 (昭和42年) | IBM Fellow |
| 1976年 (昭和51年) | 日本IBM非常勤取締役 兼務 |
| 1992年 (平成 4年) | 筑波大学学長 |
| 1998年 (平成10年) | 財団法人茨城県科学技術振興財団理事長(現在に至る) |
| 2000年 (平成12年) | 芝浦工業大学学長 |
| 2006年(平成18年) | 横浜薬科大学学長(現在に至る) |
賞
| 1965年 | 日本学士院賞 |
|---|---|
| 1973年 | ノーベル物理学賞(半導体内におけるトンネル現象に関する実験的発見) |
| 1974年 | 文化勲章 |
| 1985年 | 米国物理学会国際賞 |
| 1991年 | 米国IEEE協会最高栄誉メダル |
| 1998年 | 日本国際賞 |
| 1998年 | 勲一等旭日大綬章 |
著書
| 1974年 | トンネルへの長い旅路 (講談社) |
|---|---|
| 1980年 | アメリカと日本 (読売新聞社) |
| 1983年 | 創造の風土-ニューヨークから (読売新聞社) |
| 1988年 | 個人人間の時代 (読売新聞社) |
| 1997年 | 創造力の育て方・鍛え方 (講談社) |
| 2007年 | 限界への挑戦-私の履歴書(日本経済新聞出版社) |