細胞のメカニズム解明から医療へ。発生・再生科学の今

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター センター長 竹市雅俊氏 × トムソン・ロイター 棚橋 佳子

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理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター センター長 竹市雅俊氏 × トムソン・ロイター 棚橋佳子理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター センター長 竹市雅俊氏 × トムソン・ロイター 棚橋佳子対談 細胞のメカニズム解明から医療へ。発生・再生科学の今

細胞接着分子「カドヘリン」発見から30余年。医学分野への応用に期待!

動物の細胞は驚くべき能力を持ち、それぞれが想像を超えたダイナミックなはたらきをする。そのひとつが「自己組織化」だ。発生生物学における自己組織化とは、多細胞生物の細胞が自律的に組織を作ることをいう。たとえば、細胞をばらばらにしても、適切な条件下で培養すると自然と元の組織様に戻る。では、どのような力が複雑な組織形成を可能にしているのか?細胞接着、細胞骨格に関する分子構造から動物の体づくりの謎に挑むのが、発生生物学の第一人者である理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター センター長の竹市雅俊氏だ。

今から30年以上前、竹市氏は、細胞同士がくっつきコミュニケーションを図るために重要な役割を担う「細胞間接着分子カドヘリン」を発見。以来、一途にカドヘリンの研究を進めてきた。近年は、がんや脳の神経回路などへの関与も明らかになり、発生生物学のみならず医学分野からも多くの注目を集めている。世界に高いインパクトを与え続ける竹市氏は2012年に「トムソン・ロイター引用栄誉賞」を受賞した。独創的な研究で生物科学の最前線を開拓する竹市氏に、その研究内容や応用への可能性について聞いた。

「動物の体づくりの謎」に挑み続ける30余年

―竹市先生は2012年に「トムソン・ロイター引用栄誉賞」に選出されました。これは、論文の引用データからノーベル賞クラスの突出した研究をされたことを意味しています。先生のご研究および受賞理由となった「細胞接着分子カドヘリンの発見」について教えてください。

竹市氏…私の研究の大命題は、「動物の体がどのようにできるか」です。動物は多くの細胞が集まって形成されていますが、それには細胞同士がくっつかなければなりません。また、くっつくことで多細胞体にはなりますが、さらに細胞間の詳細なコミュニケーションがなければ体の機能は上手く働きません。つまり、「くっつき」かつ「コミュニケーション」を行う。このふたつが重要です。

「くっつく」については、どの細胞とどの方向でくっつくか、さらに、「離れる」というふるまいも重要です。一方、「コミュニケーション」に関しては、くっつくことで細胞が増殖を停止したり、お互いを知る事ではじめて極性が決まったりという極めて多様な関わり合いがあります。そこには様々な分子が関与していますが、私が1977年から1984年にかけて発見した「カドヘリン」という細胞間接着分子が、中でも重要な役割を担っていることが分かりました。このカドヘリンと総称できる分子は今まで120種ほど発見されており、全体を「カドヘリンスーパーファミリー」、細胞の接着に重要な役割を果たす約20種の分子を特に「クラシカルカドヘリン」と呼んでいます。さすがに120種すべてを研究することは難しいので、クラシカルカドヘリンと、その他の一部の興味深い分子について研究を続けてきました。

私の研究は、「動物の体はどうやってできているか」という自然科学上の問いに応えるとともに、細胞の接着やコミュニケーション異常に起因する様々な病気の解明の糸口になるのではないかと考えています。例えば、がんが転移するという現象は非常に深刻ですが、転移とは、くっついた細胞が離れて移動してしまうことであり、ある意味、細胞の接着異常と説明できます。また、「シナプス」という脳の細胞間の接着の形成にもカドヘリンが関わっていて、カドヘリンに異常が生じると脳の神経回路に障害ができると考えられています。つまり、カドヘリンを研究することは、すなわちがんや脳の病気の原因を探ることにも繋がります。

―先生は、この研究に30年以上もの歳月を費やしておられます。

竹市氏…カドヘリンの機能は想像以上に複雑です。細胞がくっつくという現象は一見単純に思えますが、それだけでは生命活動を維持するほどのダイナミックな場とはなり得ません。そもそも、細胞の接着とは、細胞が積極的にくっついたり離れたりする非常に動的な構造です。カドヘリンはそうした細胞の接着部分に濃縮し、その機能を制御する分子など、他の分子と関わりながら複雑な装置を形成しています。探せば探すほど新しい分子が見つかり、それをひとつひとつ解き明かしていくので時間がいくらあっても足りないのです。

カドヘリンの次なるステージ。応用への期待

―先生は2012年の「トムソン・ロイター引用栄誉賞」の受賞以前にも、日本学士院賞、日本国際賞の受賞をはじめ、様々な学会の名誉会員や外国人会員でもあります。なぜこれほどまでに先生の研究が世界から注目を集め、インパクトを与え続けているのでしょう?

竹市氏…動物の体には2万個以上の遺伝子があり、そこから様々な機能が作られ、それぞれが重要な役割を担っています。それに関わる研究はどれも面白くてインパクトがあると思いますが、その中で、カドヘリンは、細胞と細胞をつなぎ止めてコミュニケーションさせるための重要な分子ですから、多細胞体を研究する上で無視するわけにいきません。したがって、多細胞体研究分野の研究者はカドヘリンに多かれ少なかれ関わりを持つことになります。引用が増えたのはそのためでしょうか。私は、2年に1度開かれる細胞接触・接着のゴードンカンファレンス。(注1)に毎回出席していますが、ひと昔前は、カドヘリンは全体の1セクションに過ぎなかった。今では、カドヘリンに関する話題が多数を占めるようになり、研究者も間違いなく増えていると思います。

―研究領域の活性化は、応用にも繋がっているのですか?

乳腺上皮細胞株におけるE-カドヘリン(赤)とアクチン線維(緑)の分布を示す蛍光抗体写真。E-カドヘリンはアクチン線維と結びつきながら細胞間境界に濃縮している。

乳腺上皮細胞株におけるE-カドヘリン(赤)とアクチン線維(緑)の分布を示す蛍光抗体写真。E-カドヘリンはアクチン線維と結びつきながら細胞間境界に濃縮している。

竹市氏…カドヘリンはまだ基礎研究の分野です。医学分野の研究者も関心を持ってくれていますが、研究成果がすぐ治療に結びつく段階ではありません。先ほどもお話ししたように、カドヘリンの活動は非常に複雑なので、医学応用へのポテンシャルは皆認識しているものの、それを実現するためにはある程度の時間が必要なのです。私も30年以上研究して、依然複雑で謎の部分が多い。謎が解ければ、 創薬等も含めた医学応用のために具体的な戦略が立てられます。初期の発見の時期を経て、より多くの研究者が興味を持って参入してきているので、カドヘリン研究は加速するでしょう。今は、基礎研究のある種のピークだと思います。10年も経てば新しい展開があるのではないでしょうか。

―多くの研究者の参入や競争が、がんの転移といった医学への応用スピードを速める可能性もありますね。

竹市氏…そうですね。医学分野への応用の期待は年々高まっているので、実際に、ブレイクスルーが起これば、また非常に面白い展開になるでしょう。

―ご自分で切り開いた領域が他の研究者を刺激し、新しい研究に広がっていくのはどのようなお気持ちですか? また、ご自身でも応用への展開を描かれていらっしゃるのでしょうか?

竹市氏…自分が開拓した分野が発展していくのは素直に嬉しいです。実は、私自身も多少なりともカドヘリンの医学応用に携わりたいという気持ちが芽生えていて、今、がん細胞の接着異常を直すような化学物質のスクーリングを理化学研究所の創薬事業の一環として始めています。がん細胞の多くは細胞間の接着がおかしいのですが、ある種の薬剤を与えると接着が正される効果が観察されます。接着が正されれば、がん細胞の異常行動が抑制されるのではないかと想像しています。結果がどうなるか、やってみないと分かりませんが、重要な研究になると期待しています。

―非常に楽しみです。今回、先生の論文がどのような分野に波及しているかをBiosis Citation Indexという生物学データベースで調べたところ、がん以外に消化器や肝臓、感染症などの論文にも引用されていました。そうしたグループも合わせると、第2世代の研究は想像以上に膨らんでいるのでは、と推測できます。

竹市氏の論文を引用した論文の分野(Biosis

竹市氏の論文を引用した論文の分野(Biosis Citation Indexより抽出)

竹市氏…なるほど。研究の広がりが形で見られて非常に面白いですね。ところで、このデータは私の論文に関してですよね。カドヘリンの論文数に関するデータも見られますか? 

―はい。Web of Science® Core Collection でカドヘリンというキーワード検索をすると、実に1万件以上出てきますね。1984年にはじめてカドヘリンという名前で論文が発表されて、1000報に達したのが2001年、去年の論文数は2600報余り。積算は26000報以上(2013年8月現在)です。年度順に見ると、先生の論文の引用数のピークは過ぎていますが、領域は右肩上がり。これは、先生の論文を引用せずに書かれたものが増えているということでしょうか?

カドヘリン関連の論文出版数の20年間の推移(Web of Science Core Collection より抽出)

カドヘリン関連の論文出版数の20年間の推移(Web of Science Core Collection より抽出)

竹市氏…そうですね。最近は、私の古いオリジナル論文が引用されず、最近のレビュー論文が引用されることが多いです。高い被引用数を保とうとするなら、新しい大発見をするか、あるいは、優れたレビューを書き続けると有利でしょうが、後者は割としんどい。外国の研究者はその辺が得意で、ポスドクと共著で次々にレビューを発表しますが、ちょっと真似できませんね。

―日本は、そういう習慣があまりないのでしょうか?

竹市氏…習慣の問題でなく、日本人の英語力の壁もあって能率が悪いです。また個人的には、できるだけオリジナルの論文執筆に専念したい。一方で、オリジナル論文というのは内容が先端的であるほど、直ぐには引用されにくいんです。その研究に関係する研究者がまだ少なかったりしますから。引用数を上げるには、人気のある研究分野の先端を走る論文を書くことが一番ですが、それでは創造性という観点からつまらないことが多い。引用データは、そういうジレンマも含みます。

―今でこそ先端領域として発展したカドヘリンの研究も、元はと言えば、先生のオリジナルの研究があってこそ。引用を伸ばすための研究となると本末転倒になりますね。

リーダーに学ぶ研究戦略と、図書館の意義

―先生は、ご自身およびセンターの戦略をどのように立てていますか?

竹市雅俊氏

竹市氏…戦略という言葉はあまり使いませんが、常に意識しているのは「未開拓分野を切り開く」ことです。常に何が面白いかを探し、研究すれば新概念が生まれると期待される問題に取り組んでいます。センターの方向性もそう。「独創性-オリジナリティ」と「創造性-クリエイティビティ」を非常に重視しています。もちろん、理研は国の研究所であり、発生・再生というテーマの枠から外れることはできませんが、その中でも、新しいブレイクスルーに繋がる研究をしそうな研究者を採用し、採用後は各々の自主性に任せています。

―ブイレクスルーを見つけそうな人材というのは、どのように探すのですか?

竹市氏…人材の発掘が大事なので、基本的に公募です。学会などを通じて候補者探しを行うことはありますが、どんな場合も公募に応募してもらい、審査は公平に行います。インタビューし、論文を読んで、これからやろうとしている研究を聞き、人事委員会で喧々がくがくの議論してから決める。人選の基準についてパターン化したものはありません。論文引用データを参考にすることもありません。我々が重視するのは、ここ数年の間にどのよう内容の論文を書き、その研究が発展しそうかどうかということです。いくら優れた研究でも、最近出版されたばかり論文の引用数はまだ高くありませんから。研究の質と独創性で審査することがほとんどです。また、テーマありきでの採用はしません。研究センターとして導入したいテーマがあっても能力のある人がいなければできない。まず、人材。その人材が非常に優秀で、センターの興味と一致していれば最高ですが、多少ずれていても、将来きっと面白いことをやってくれるだろうという期待で採用することも多いです。いずれにしろ、常に、良い人材がいないか探しています。

―なるほど。我々は、先生のような研究の第一人者が研究情報をどのように入手していらっしゃるかにも非常に興味があります。「図書館」という箱が減少する中、先生はご自分のセンターに図書館を残されたと伺いました。Web of Science Core Collection のようなデジタルアーカイブスが主流となってきた今、図書館のメリットとは?

竹市氏…確かに図書館の役割は減っていますが、古い学術書や図鑑などオンンラインで手に入らない情報はまだたくさんあります。これらは結局図書館を頼ることになるのでゼロというわけにはいきません。

―やはり研究において、古いところから新しいものに至るまで、押さえておくべき情報があるのですね。

竹市氏…常にです。サイエンスは歴史の上に成り立っていますから無視できない。むしろ、無視してはいけない。最近は、2000年以降の論文しか読まなかったり、引用しない研究者も多く、特に若い人はオリジナルの情報を省略しがちです。しかし、研究者として歴史を理解し敬意を払う姿勢は非常に重要です。そのためにも時々は古い論文も見る必要があるでしょう。最近は、ジャーナルによっては古典も電子アーカイブで見られるようになりましたが、それはまだ一部。たいていは、どこかの大学図書館を頼ります。

棚橋佳子

―Web of Science Core Collection も、もともと1945年からの論文情報を収録していたデータベースでした。しかし、まさに先生が仰られたような古い情報へのニーズから数年前に過去100年の論文データまで遡れるように過去データを精査しました。その際、当時の古いメジャージャーナルを探すのに非常に苦労したのですが、結局出版元より大学の図書館に残っていたりしたと聞いています。最近は、出版社も電子化に力を入れているので、そのうち古典もすべて電子化される日がくるかもしれませんが。

竹市氏…出版社自体が既にないところもありますしね。むしろ大学の図書館が古い書物をオンライン化する取り組みをすれば、かなり使いやすくなるかもしれません。

―では、今、図書館に求めることは主に古典の管理やインデックスでしょうか。

竹市氏…新しく出版される資料に対する図書館への依存はぐっと減っているので、古い書物に関して電子化やその管理などをしていただければ非常に有り難いです。逆に、新しい研究情報については、ジャーナルにしてもなんにしても予想以上に電子化が早かった印象がありますね。

―確かに、最近はジャーナルの編集もほとんどオンラインで、レビュワーの方とのやり取りもメールが主流になっているようです。便利になりましたが、オンンライン化されたことによる弊害はないですか? 引用の観点から見ると、1論文あたりの引用数は増えているように感じます。その分、例えば、先生方が読むべき論文の量ももの凄く増えたとか。

竹市氏…正直、情報量が多すぎて、すべてのジャーナルを読んでいる暇はないですね。ただ、検索は素早くできるので、気になった記事に関してはじっくり読みます。ただ、これにより、自分に関心があるものだけを読むという弊害が生じてきています。

―インターネットを上手く活用し、必要な知識だけ取り寄せて読むということですね。

竹市氏…ええ。ただ、『Nature』など総合的な科学ジャーナルはハードコピーを個人購読して、他分野の進歩に遅れないようにしています。一方、個々の専門誌について各誌のホームページを開いている余裕はありません。一番助かるのは、ジャーナルが新着論文の目次をEメールで送ってくれるサービスですね。これは私も実際に活用しています。

―目次の拾い読みで気になった論文だけ詳しく見ていくと。総合目次情報と全記事索引コンテンツ、私どものサービスでいえばCurrent Contents Connectの世界ですね。情報過多の社会の中でどのようなモニタリングしているのか大変参考になります。

真のオリジナリティを求めて

―若い研究者に向けて、最新情報に遅れをとらず自分の研究も深めていくためのアドバイスをいただけますか?

竹市氏…今の時代、最新情報はむしろ若い人の方がよく知っていますよ。むしろ、情報がオンラインであまりに簡単に得られる弊害として、研究もそういう頭になると良くない。昔、私が京都大学で助手をしていた時、岡田節人教授は「論文を読んで、そこから研究を始めるな」と口癖のように言っていました。他人の論文を読み、次に自分だったらどうするか?というようなやりかただけで研究を進めると、その時代の研究の進歩には貢献するけれど、真のオリジナリティには繋がりにくい。 もうひとつ、既存の論文から研究をはじめることの深刻な問題は、メジャージャーナルに掲載された論文ですら、結論が間違っている場合がしょっちゅうあるんです。厳正なレビューを通過した論文でも、一見完璧にストーリーができあがっていると、 真の専門家でない限り問題があっても気づき難い。その場合、間違った結論の上に新しい論理構築をすることになります。研究というもの、自分の目で自然を観察し、発見することが一番大切だと思います。

―ジャーナルに掲載されている論文が間違っていることもあるんですね。どう対処したらいいのでしょう?

竹市氏…原則として、研究に使われる試薬や実験方法はすべて自分で再確認しないと危ないです。しかし、現実的には難しい。例えば、我々は細胞内の分子を検知するのに抗体というものしばしば使います。昔は自分たちで作っていましたが、最近は試薬会社が抗体を販売するようになり、自分たちで作るより買った方が圧倒的に楽なので私たちもたくさん買います。ところが、買った抗体が正しい分子を認識していないことがある。たとえば、カドへリン分子を認識する抗体であるといっているのに、使ってみると明らかに違う。そういった場合、私はカドヘリンの専門家だから気づきますが、そうじゃなければ、会社のカタログを信じて研究を進めてしまう。ここにも、また間違いを生むひとつの新しい原因が生まれてしまいます。最近のバイオの世界は、アウトソーシングが増えた分、商品の信頼性という問題も抱えています。

要するに、若い人が研究するとき、自然現象をきちんと自身で観察し、自分の目と頭で問題を探し、使用する試薬や実験法の正当性を確認しながら行ってほしいということです。論文を早く出さないと次の就職がないとか、インパクトファクターの高いジャーナルに論文を載せたいとか、種々のプレッシャーや願望の中で研究を進めることになりますが、肝心なことをおろそかにしてはいけません。あたりまえのことですが、当面のつじつま合わせでなく、歴史に残る真理を発見するという姿勢で研究に取り組んでほしいと思います。

―まさに、利便性を追求し過ぎた弊害ですね。インターネットの普及で効率化が進んだ事により、1人ひとりに求められる論文数は増えたのでしょうか?

竹市氏…いや、むしろ、ひとりの人間が出す論文数は減っていると思います。というか、減らざるを得ない。というのも、ひとつの論文を仕上げるのに昔よりたくさんの実験をしないといけなくなっているからです。

―それはなぜですか?

竹市氏…情報が増えたでしょう。すると、ひとつの問題を検証するのに昔はわずかなことを確認すれば良かったのが、今は膨大な情報の中からあらゆる可能性をさぐり、テストしなければ論文にならなくなった。1報の論文を書くのに以前と比べて10倍くらいの時間を使わないといけないんです。しかも、電子化によってサプリメンタルデータを付けなければならなくなり、論文全体としてより高い完璧性が要求されます。技術が進歩して昔できなかったこともできるので、やれることはすべてやりなさいというわけですね。論文を書き上げた後も、レビュワーから1論文に対して5-6ページくらいの追加実験リストが送られてくることが珍しくない。難しいジャーナルほどそのリクエストが多く、全部こなすにはまさに飲まず食わずで実験しないといけません。ですから、論文1つ出版するのにもの凄いエネルギーがいるんです。頑張れる人だけが達成できる。頭脳だけではどうしようもなく肉体労働ですね。

国際競争社会における日本の研究界発展の鍵

―経済をはじめ、研究の中心も欧米からアジアにシフトしてきました。科学を極めるのであれば、外の世界で戦う姿勢が重要ですか?

竹市氏…そもそも国際感覚がなかったら科学者なんてやれません。ただ、なかなか難しい問題ですね。日本人は特性として内向き気質が強いように感じます。言葉の壁も大きく、外国語では母国語で話すほど微妙な気持ちが表現できず、明らかにストレスなります。

G8諸国の論文シェア年次推移 出典:InCites

G8諸国の論文シェア年次推移 出典:InCites

―科学者は、そこは乗り越えないといけないということでしょうか。

竹市氏…はい。自然科学の研究自体がグローバルな行為ですから。自然科学がガラパゴス化したらなんの意味もありません。要するに、自身に内向き傾向があるということを意識して、改善するよう積極的に努力する。これが、日本の国際化に向けた課題だと思います。

―実際に、先生の研究所内の会話はすべて英語ですね?

竹市氏…ええ。ただ、もう少し徹底しないといけないと常々思っています。例えば、ヨーロッパだったら、研究者どうしの会話は完全に英語化しています。複数人集まった際に1人でも外国人がいたら、皆、英語で話すという習慣が完全に根付いている。しかし、日本だとなかなかそうはいきません。外国人がいても結局皆日本語で話しがちです。その辺の意識を変えなければいけないと思います。ともあれ、言語的な問題に関しては、日本は完全に遅れていますね。この頃はあまり言わなくなりましたが、英語教育について日本語もろくに話せないのに…というような足を引っ張る評論があったでしょう。あれ、かなり後ろ向きな姿勢だと思います。英語教育はもう必須ですよ。

―オリジナルの追求ですね。

竹市氏…研究とは国際的なもので、よい研究をすれば誰もが認める。しかしPR能力も大切です。商業の世界ではあたりまえのことですが、サイエンスの世界でも同じことがいえます。例えば、日本とアメリカの研究者が似たような発見をしてもアメリカ人の方が有名になる、ということがしょっちゅうおきます。これには複合的な要因がありますが、その1つはプレゼンテーション能力の差です。また、日本人は論文を書くのが下手だと思います。専門的な個々のテーマをきちんとやるのは得意だけれど、それを大きな問題に関連づけ、より魅力的な話にまとめて伝えるといったことが下手。これは、イマジネーション能力やストーリーの構成能力が関係すると思います。でも最近の若い人のプレゼンテーションを聞いていると、かなり向上しているように思え、心配は薄らいではいますが。

―そういった面白く表現したり、伝えることは、欧米の方は特に上手ですよね。

竹市氏…日本人は生真面目で、面白く伝える能力というのが足りずに損をしてきたとしか思えません。しかし、結局のところ、いちばん大切なものは「作品の質」です。日本人は高品質なものを作るのが得意なので、お互い、いっそうがんばりたいものです。

―イノベーティブとか、イノベーションという言葉が最近は特によく使われています。「想像力を持って新しいものを創りだす」ということでしょうか。

竹市氏…「ソウゾウリョク(想像力・創造力)」には、「イマジネーション」と「クリエイション」の両方が必要です。故スティーブン・ジョブズ氏や、映画プロデューサーのスティーブン・スピルバーグ氏のように、誰も経験したことのないような感動を与えるモノを生み出す力です。日本はかつて、ソニーやホンダの製品等、卓越したソウゾウリョクを生み出した歴史があるので、自信が持てます。クリエイティビティで世界をリードしていくような日本人がさらに増えて欲しいです。

―最後に、先生の今後のご研究の夢や目標を聞かせてください。

竹市氏…私はそろそろリタイヤする年ごろなので、あまり大きな夢を持っても仕方ないですが…、今取り組んでいる新しい研究でなんらかの成果を出す事でしょう。

―新しい研究とは、具体的には、どのようなご研究ですか?

竹市氏…かなり専門的になりますが、数年前、カドヘリンの研究の発展として偶然「Nezha(別名CAMSAP)」という分子を見つけました。細胞骨格のひとつである微小管の重合に関係する分子ですが、細胞の形や構造を決める要素となります。まだ世界でもほとんど注目されていませんが、細胞骨格の分野では非常に重要な分子と考えており、これをしばらく研究したいと思います。もちろん、カドヘリンや、その応用としてのがんや神経の研究も引き続きやっていきます。

Web of Science Core Collection で“nezha”を検索して抽出できる論文数および被引用数の年次推移

Web of Science Core Collection で“nezha”を検索して抽出できる論文数および被引用数の年次推移

―それはまたワクワクするようなお話ですね!期待しています! 本日はありがとうございました。

(注1)
ゴードンカンファレンス(ゴードン会議)とは、特定の研究分野の最先端で研究をする科学者が集い、最新の研究成果に関する議論を通じて、新しい研究の方向性を探ろうとする世界的に権威ある会議のこと。

(2013年9月掲載)


竹市 雅俊(たけいち・まさとし)氏

プロフィール
1966年 名古屋大学理学部生物学科 卒業
1968年 名古屋大学大学院理学研究科 修士課程修了
1969年 名古屋大学大学院理学研究科 博士課程退学
1973年 学位:京大理博
1970 - 1978年 京都大学理学部生物物理学科 助手
1978 - 1986年 京都大学理学部生物物理学科 助教授
1986‐1999年 京都大学理学部生物物理学科 教授
1999 - 2002年 京都大学大学院生命科学研究科 教授
2002年 - 現在 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター センター長
2006年‐現在 京都大学 名誉教授
(併任・客員等)  
1974 - 1976年 カーネギー研究所発生学部 Research Fellow
1992 - 1998年 岡崎国立研究機構基礎生物学研究所 行動制御部門 客員教授
1993 - 1999年 京都大学理学部付属分子発生生物学研究センター センター長(併任)
2000 - 2002年 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター センター長(兼任)
2002 - 2006年 京都大学大学院生命科学研究科 客員教授
2010年 名古屋大学特別教授
受賞歴
1989年 塚原仲晃賞
1992年 中日文化賞
1993年 ハーバード大学医学部 Dunham Lecture
1993年 大阪科学賞
1993年 米国細胞生物学会 Keith Porter Lecture
1994年 国際分化学会 Jean Brachet Lecture
1994年 朝日賞
1995年 高松宮妃癌研究基金学術賞
1996年 上原賞
1996年 日本学士院賞
2000年 日本学士院会員
2001年 国際発生生物学会ロス・ハリソン賞
2001年 慶應医学賞
2004年 American Academy of Arts & Sciences 外国人名誉会員
2004年 米国解剖学会 名誉会員
2004年 文化功労者
2004年 フランス教育・学術功労勲章
2005年 日本国際賞
2005年 神戸市産業功労者
2007年 米国科学アカデミー外国人会員
2009年 ヨーロッパ分子生物学機構(EMBO)外国人会員
2011年 講書始の儀
2012年 ベルギー ゲント大学名誉博士
2012年 トムソン・ロイター引用栄誉賞